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2003年1月号
大塚先生のコラム

■「在宅でみるということ」

10月はじめのある日、近くの大病院から、30歳台のガン患者さんが自宅での死を希望しているので、主治医になってもらいたいという依頼を受けました。

何度か家で看取った経験はありましたが、ほとんど自分と年齢がかわらない人を看取るのには、抵抗がありました。きちんと病気を、死を受け入れてくれるのであろうか?同じくらいの年の自分が生きていて、患者さんはどんな気持ちを抱くのだろうとか、、、。



大塚龍彦
大塚内科医院ホームページ
在宅医療は、患者さんだけが主役ではなく、家族も主役です。
たまたま実家に帰ってきて、そこのお母様が一生懸命に勉強されていたので、点滴の交換、しもの世話、痛み止めの使い方、すべて看護婦さん顔負けでした。
(簡単に書きましたけど、並大抵の努力ではなかったと思いますよ。)

ご本人もしっかりとした方で、自分の病状をしっかりととらえていて、気丈に病魔と闘っていました。そうなると私も逃げ腰になんかなってられません。
在宅で患者さんを診ることの難しさは、一つは検査がそうたやすくできないことです。大きな機械を持ち込めず、せいぜい採血くらいです。ただ末期の状態でそうちょくちょく採血されても、余計な痛みを与えるだけの様な気がしてしまいます。
そうなると頼りはやっぱり聴診器、手、耳、話です。自分の五感をフルに駆使して、見逃してはいけない兆候に常に目を見張ります。そして、自分は内科だからなんて言ってられません。腹水が溜まったりしたら、おなかに直接針を刺して苦痛を取り除いたり、管の入ったところが抜けそうになったら縫って固定しなくてはいけません。夜中に様子がおかしければ、すぐにとんでいきます。

そんな日々にもいよいよ最後の日が来てしまいました。
たまたま休日の朝でしたので、家族みんなに見守られて静かに旅たっていきました。お母さんはぼろぼろに疲れていましたが、「なにかもっとしてあげられたのでは?」という、なにか気が抜けたような感じでした。
私が「ご本人も、お母さんも本当によくがんばりましたね!」というと、はじめて私の前で涙をみせて泣き崩れてしまいました。患者さん宅からの帰路、何とも言えない悲しさと、ある意味”おまえもよくやったぞ!”と自分をほめてあげたい満足感がありました。

在宅医療はまさに死闘です。ひとりでも手があれば負担が楽になります。なのに大概は誰か一人が必死に介護しているという構図が多いです。半端な人が手を出しても、患者さんには迷惑です。かといってこのご時世、半端にしか時間もとれない、、、。
そんな矛盾が「だったらこの人しかいない!」になってしまうのでしょう。

私にもこの答えは見えていません。百件の依頼があれば、百様の家族があり、考え方があります。ただ大切なのは、そこにかかわる医者や看護師さんなどの医療従事者が、いい意味でプロであることだと思います。
自分で努力しようとせずに往診や訪問看護をやたらとよんだり、ただ食事だけ与えて不潔にして床ずれなどの合併症を引き起こしたり、そんな御家族では決して在宅ではみられません。

患者さんが病気と闘うのと同様、我々とともに闘える介護者、そして、そこに指導的立場をとり、ともに苦労を分かち合うことのできる医療従事者、、、これは永遠のテーマですが、プロとして”冥利に尽きる”部分でもあります。

様々な御家族にあわせることのできる人間性、それから、検査に頼らずに聴診器や手、そして心で看れる技術、これからのドクターにとっての最重要課題ですかね!
■「韓国旅情」
家内と二人で韓国に行ってきました。子供に留守番をさせ、買物中心の旅行でしたが、とても楽しかったです。

日本語も通じるし、円も使えるし、食べ物も美味しいし、なおかつ近いし・・韓国はとても気に入りました。

次回は私一人で“トルコ”に行きたいと思っています。
東洋文化と西洋文化が混ざっている国!
ワールドカップで日本を負かした国・・
是非見てみたいと思います。

お〜〜っとその前に、イタリアの借金がまだ残っていました。
これを完済しないと無理そうかな?
どうですかね・・金融大臣・・(^^)


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